強すぎる後悔思考を調整しよう
強すぎる後悔思考
今できることに目を向けるのではなく、「自分はもっとうまくやれたはずだ」というように過去にとらわれてしまう事
例:あの時〇〇してたら・・
後悔することはその時のより望ましい対応策や改善点について検討したり、同じような事態を再度招かないための予防法について検討したり・・人生をより良いものへと改善していくために役に立ちます。しかし、後悔思考が強すぎると、対応策や改善点、予防法を検討するのではなく、その出来事にとらわれ前に歩けなくなってしまいます。心が休まる時がなくなって、絶えず過去の苦しい時間の中で過ごすことになってしまいます。
この傾向が強すぎる人は、以下の方法を試してちょうど良い強さに調整してみましょう。
調整方法
- 後悔についての思考の確信度を数値化してみましょう。
0~100% - その考えに影響された場面に伴う感情とその強度を数値化してみましょう。
0~100% - 後悔している事を具体的に書き出してみましょう。
次ぎの文章を完成させてみましょう。
私は~だということを知っておく必要があった - 損益を分析してみましょう。
過ぎ去ったことを後悔し続ける事で、望まない出来事を予防するモチベーションが上がりますか?
後悔思考はは現実的な考え方でしょうか?
もし、物事をあまり後悔しないようにしたら、思考、気分、行動はどう変化するでしょうか? - 後悔を支持する根拠と支持しない根拠の検討、及び根拠の妥当性に関する検討をしてみましょう。
- なぜ、そのこと起きる事ことを、予測できなければならなかったのでしょうか?
全ての出来事を事前に予測できなければいけないのでしょうか?
人の心を読み取り対処しなければならないのでしょうか?
絶対に間違いを犯してはいけないのでしょうか?
これらの事を考慮に入れると、どんなことが起きるのでしょうか?
- その出来事が起きた時、入手可能だったのはどんな情報でしょうか?
その時点で最も重要だと考えたのはどんな事だったでしょうか? - その出来事が起きる前に、全ての情報を入手できていたら、適切で完璧な意思決定、判断ができたのでしょうか?
認知の癖の分類をしてみましょう。 - その考えの正しさはどうやったら検証できるのでしょうか?
あるいは正否を検証することはできますか? - 下向き矢印法を行ってみましょう。
予測通りに物事が運んでいたら、それは何を意味するのでしょうか?
なぜそれが、自分を悩ませるのでしょうか?
その出来事は「自分は適切な判断を下せない」ということを意味しているのですか?
徹底的に注意深くなって、決して危険を冒さないようにするべきなのでしょうか?
徹底的に注意深く振舞い、決して危険を冒さなくても物事がうまく運ばなかったら、自分をさらに責めるべきなのでしょうか?
自分以外を信用してはならないのでしょうか? - 最善の判断を下せなかったら、「愚かで無能で判断力のないダメな人間だ」なのでしょうか?
- 過去に適切な判断を下せなかった事やありませんでしたか?
適切に判断できたとしたら、それはどんなことを意味するのでしょうか? - 二重の基準法を用いて自問する
全ての人が自分と同じような見方をするのでしょうか?
他の人たちは、それを後悔すべきだと考えるでしょうか?
全て自分のせいなのでしょうか? - 自己非難と自己修正を区別して考えてみましょう。
自分の言動の中でで修正できそうなものはありませんか?
その出来事から学べる事はありませんでしたか?
今後、どのような変化や進歩を生み出すことができるでしょうか? - 判断が適切でなかったとしても、何かポジティブな側面は見出せませんか?
未来に活かせるようなポジティブな側面はありませんか?