心理カウンセラーのことを
知ってください
心理カウンセラーは一緒に悩みの軽減や問題の解決に
取り組む、あなたのパートナーです。
心理カウンセリングを受ける前に、心理カウンセラーの
経歴や人柄を知ってください。
そして、あなたのパートナーになれそうな人物
だと思えたら会いに来てください。
1965年10月30日 岐阜県岐阜市柳津町で誕生しました。両親と祖父母 5歳上の姉という家族構成でした。
昭和という時代背景と親戚筋の子供は女の子ばかりだったという理由で、長男(後継)としての期待はとても大きいものでした。
祖父(教師)も父(学校事務)も公務員であったため、教師になることを望まれていました。
「叔父が子供の頃、外で遊んでいて片手が使えなくなる障害を負ったこと」「父は若い頃から体が弱く、大病を患って余命宣告を受けたことがあったこと」などが理由だったのだと思います。幼い時はほとんど外で遊ばせてもらえませんでした。
そのせいもあり運動神経が未熟で、みんなと一緒に上手に遊べませんでした。
フットベースボール、ドッヂボールetc
私が入ったチームは必ず惨敗・・・いつのまにか仲間に入れてもらえず、気づいたらいつもひとり。
一緒に遊んでくれる友達はいませんでした。
気がつくとイジメられるようになっていました。お腹が痛くなってトイレでウンチをしていると頭の上から水が降ってきました。
雨上がりが大嫌いでした。みんなが傘を持っているからです。雨上がりの下校時は傘で刺されながら、下を向いたまま歯を食いしばって歩き続けました。
僕の大切なものはよく間違って捨てられて、ゴミ箱の中にありました。
5歳上の姉がいます。
姉は子供の頃とても優秀で、社交性がありました。いつも友達に囲まれている姉を羨ましく思ったものです。
だからお正月は大嫌いでした。家族の中で僕だけ年賀状がこなかったからです。
また、姉は勉強もできたので、家族が僕を褒めてくれることはありませんでした。今考えれば「まぁまぁ」の成績だったのですが、自分はとてもできが悪い子供だと感じていました。
中学校(岐阜市境川中学校組合立境川中学校)に入学と同時にハンドボール部へ入部しました。当時の境川中学校のハンドボール部は強豪で人気がありました。
新入部員は40名近くいたと思います。とても運動神経が悪かった私は、「練習の邪魔になる」という理由からみんなと一緒に練習させてもらえませんでした。ハンドボールのゴールの後ろでずっと一人きり、「おぞえー」と声を出し続けることになりました。
そんな毎日を惨めに思って、先輩から練習中一人でグランドを走る許可を取り付け、来る日も来る日も一人で走り続けました。
今考えればこの選択は素晴らしいものでした。足が早くなり持久力もついて練習に参加させてもらえるようになっただけでなく、15名だけもらえる背番号付きのユニフォームをもらえました。人生で初めて自分の手でつかみ取った進歩でした。
高校生(岐阜県立長良高等学校)になってもあまり人付き合いは上手ではありませんでしたが、中学時代から始めたハンドボールは多少上手くなっていました。
県大会で優勝を争えるレベルのチームでレギュラーとしてトップというポジションを任されていました。トップレベルの選手にはなれませんでしたが、運動能力が低すぎることがキッカでイジメられた小学生は、スポーツを楽しめるレベルに成長できました。
この経験は私にとってとても大きなものです。やり方さえわかれば人は変われるという認識を与えてくれたからです。
この経験はその後の人生にとても大きな影響を与えてくれることになりました。
高校時代は運動が苦手という意識は克服しましたが、小学校時代のイジメの影響もあり、相変わらず人に心を開いたり、信じることができませんでした。
大阪の関西大学商学部へ入学しましたが入学当初人に話しかけることができなくて、なかなか友人ができませんでした。毎日が寂しくてたまりませんでした。
半年ほどすぎたある日、郵便ポストにコミュニケーションスクールのチラシが入っていました。寂しさから抜け出すには「これしかない!!」と、スクールへと向かいました。当時の私には受講料が結構な値段だったので、その日から節約生活が始まりました。
大学に入って始めたことがもうひとつあります。
バンド活動です。
1年生の時は自分に自信が持てず人と関わることが苦手だったので、サークルに入ってバンド活動をする勇気を持てませんでしたが、2年生になってやっと自分の想いを叶えることができました。音楽サークルPOP研に入りました。
人付き合いが苦手で一人で過ごす時間が多かった私は、いつも歌を歌って心を慰めていました。人前で歌を歌うという勇気を初めて持てた大学2年生です。
大学4年の試験期間に自動車事故にあって、腰骨にヒビが入ったため緊急することになりました。
卒業単位の取得状況は問題なかったので、受けられない試験はありましたが問題なく卒業はできそうでした。しかし教員免許を取るための教科の試験をいくつか受けることができず、在学中に教員免許取得が難しくなってしまいました。
幼い頃から「先生になるんだよ」「公務員にならなきゃ」と言われて育った私は、教員免許を取れないことがとても恐かったので(心の中では教員になりたいとは思っていませんでした)、京都の佛教大学国文学科に編入して教員免許を取得しました。
自分がしたいことをしたいと言葉にする勇気がなかったから、いいえ自分が本当にしたいことさえわかっていなかったからです。
周囲から認めてもらうことに必死で、本当の意味で自分の心と向き合った経験がなかったのです。
佛教大学を卒業して教員免許は取得しましたが結局教員採用試験は受けませんでした。
「教員にはなりたくない」という言葉を口にするために2年以上の回り道が必要でした。家族の期待を裏切る罪悪感を払拭するのにたくさんの時間が必要だったのです。
結局当時一部上場で安定していると思えたIT企業に入社しました。今から考えると本当にやりたい仕事ではなかったと思います。当時の私は子供の頃から母から言われ続けた「安定した仕事につかなくてはいけない」という言葉の魔術にかかったままで、自分の心と対話をすることができませんでした。結局私の回り道はまだまだ続くことになりました。
大学時代からお付き合いしていた女性と結婚後、家庭の事情でIT企業を退社することになりました。
その後、住宅販売、ネットワークビジネス、株式投資などを経て独立することになりました。
アマチュアミュージシャンを支援するインターネットシステムを開発し、インディーズレーベルとしてCD制作を行なっていました。
自分に自信が持てなかった私は、たくさん働いて事業で成功することで周囲から認められたいと思い、懸命に働き続けました。
懸命に働き続けた私は一時的な成功をしていました。しかし自分を大きく見せるために働き続けた私は、本当に大切にするべきものを大切にしませんでした。そしてある朝、突然妻から離婚を切り出されました。当時の私は妻の寂しさ、悲しさに気づくことができず、ただ私の意地という理由だけで離婚を受け入れました。
離婚を受け入れたものの、その後は心のポッカリと穴が開いたような時間が続き、働く気力もなくなり、いつの間にか一日中お酒を飲んでいる日々が続きました。当然会社は仕事がとれなくなって廃業することになりました。
その後5年間うつ病で何もできない時間を過ごしました。とあるきっかけで「立ち直ろう」と決意しました。その時、その決意を忘れないために曲を書きました。
うつ病から立ち直ると決めてから2つの取り組みをスタートしました。それしか思いつかなかったからです。
ひとつは刺激等製法です。何年も前にカウンセラーから「刺激等製法でお花の写真を取りましょう!」といわれていたのですが、「そんなことしても・・」と取り組みませんでした。しかし当時の私は心の知識が乏しく、他にやることを思いつかなかったので、「今やれること」ならなんでもしてみようと考え取り組みはじめました。
もうひとつはボクシングです。うつ病もひどくなると思考力や集中力が低下するので、本を読んだり勉強したりすることはできませんでしたが、幼い日から興味があったボクシングならなんとなくできそうな気がしたのです。
多分私はとてもツイているのでしょう。この時はじめたリハビリ法は大正解でした。少しずつ思考力、快を感じる感覚、体力・気力が戻った私は心理カウンセリングの学校に通いはじめました。
リハビリに取り組みはじめてから少しずつ回復の兆しを感じはじめた私は、日本カウンセラー学院に入学して「心」の勉強をはじめました。
「心」の勉強は、これまでの自分の人生を振り返り見直すためにとても役に立ちました。回復のスピードが加速していきました。
やがて私は心から「心理カウンセラーになりたい!!」と思うようになりました。
日本カウンセラー学院を卒業と同時に、日本臨床心理カウンセリング協会で「認定心理療法士」「認定臨床心理カウンセラー」の資格を取得し、2009年1月に心理カウンセリングルーム「メンタルフィットネス」を開業しました。
取得資格
「心理系の資格」
日本臨床心理カウンセリング協会
* 認定臨床心理療法士
* 認定臨床心理カウンセラー
(認定番号 0810049408100014)
「ケア系の資格」
センセーションカラーセラピー
*ティーチャーシステム修了
日本アロマ環境協会
*アロマテラピー1級
伊藤超短波
*家庭物理療法師
日本ホームヘルス機器協会
*医療機器の販売及び貸与営業所管理者
日本能力開発推進協会
*整体セラピスト
「身体強化系の資格」
日本加圧トレーニング学会
* KAATSUインストラクター
(認定登録番号第33869)
* 日本加圧トレーニング学会会員
(会員番号 1662)
日本能力開発推進協会
*スポーツフードアドバイザー
LAXMI YOGA
*インストラクター
(認定番号:LA-1148)