強すぎるべき思考を調整しよう
べき思考
「どうであるか」と言う視点でとらえるのではなく、「どうあるべきか」と言う視点で考えること
「べき思考」は道徳的に生きるため、より望ましい生き方をするため・・様々な場面で役に立ちます。この思考があることで、倫理観を守て、より人間らしく生きることができます。
ただし、この思考の癖が強すぎると、「融通がきかない」「人の話を受け入れない」「守れないと自分を激しく責める」「変化を阻害する」「自分の意見を押し付ける」 etc・・様々な弊害が起きてしまいます。
この傾向が強すぎる人は、以下の方法を試してちょうど良い強さに調整してみましょう。
調整方法
- ネガティブな気分につながることについて「こうあるべきだ」と考えていることについて確信度を数値化してみましょう。(0~100%)
- その考えに影響された場面に伴う感情とその強度を数値化してみましょう。(0~100%)
- べき思考的ルールを具体的、文章として書き出してみましょう。
- 損益を分析してみましょう。
厳しい要求をつきつけることによってモチベーションは上がりますか?
「道徳的」で「正しく」あろうとしているのですか?
このルールをいつどこで身につけましたか?
もし、べき的思考をしないようにしたら、思考、気分、行動はどのように変化するでしょうか? - 「べき思考」を支持する根拠と支持しない根拠の検討、及び根拠の妥当性に関する検討をしてみましょう。
同じべき思考をしていない人がいるとしたら、その人についてどう思いますか? - 認知の癖の分類をしてみましょう。
- べき思考を通して、当たり前だと思っている厳密なルールを守れなかった時、自分をどんなふうに評価しますか?
そのような評価をした結果、どうなりましたか? - 二重の基準法の使用を使ってみましょう。
全ての人が自分と同じようなべき思考をするでしょうか?
もしそうでないなら、それはなぜでしょうか?
自分と同じようなべき思考をしていない人がいるとしたら、その人たちはその出来事をどう考えるでしょうか? - 世界中の人が、自分と同じべき思考をしているとしたら、どうなるでしょうか?
- 道徳は人間の尊厳を高めるためにあると言われていますが、そのべき思考は、自分や相手、周囲の人の尊厳を高めることに繋がっているでしょうか?それとも、尊厳を低めることに繋がっているでしょうか?
- そのべき思考は、何らかの宗教的、道徳的、法的な信念に由来するものですか?
自分がいつ、どこで、そのべき思考を身につけたかを思い出して書き出してみましょう。
そのべき思考は、どこかで知ったことを誤って解釈したものではありませんか? - 二重の基準法を使ってみましょう。
愛する人や、心から大事に思っている人に対しても、そのべき思考を使いますか?
もし使わないなら、それはなぜですか?
同じルールなのに、人によって使ったり使わなかったりするのはなぜでしょうか? - そのべき思考を、より現実的で、有用な別の言葉に置き換えてみましょう。
そのべき思考をもっと緩やかで、段階的なものにしたらどうなるでしょうか?
そのべき思考は極端な選択ではありませんか?あるいは、人から極端だと言われたことはありませんか?
べき思考を現実的で、上記のように置き換えると、どんなふうに感じますか? - べき思考を13のように置き換えた場合どんな利益と不利益が生じますか?
- 13で考えた新しい考え方は、連続法で考えると0%~100%どのあたりに位置づけられるでしょうか?
もとのべき思考と関連付けて考えてみましょう。
最も多くの人が適切だと感じたり、満足したりできるのは、0%~100%どのあたりに位置する時でしょうか? - 判断するのをやめて、十分に意識を向けるだけにしてみましょう。
判断するような言葉、「いつも」「決して」といった言葉を使わないようにして、出来事を描写してみましょう。 - 未来や過去にこだわるのをやめて、今この瞬間だけに意識を向けて考え直すとどうなるでしょうか?
1時間後の今、この瞬間、1日後の今、この瞬間、1週間後の今、この瞬間、どんな事が起きているでしょうか? - バルコニーから眺めるを使ってみましょう。
問題になっている場面をバルコニーから眺め、他人に説明してみましょう。
目に見える行動だけに注意を向けて、遠くから見ているように描写してみましょう。
どう説明したら見聞きした事を正確に伝えられるでしょうか?