相手の考えを理解するために

情報は加工して受け取っている

人は目や耳、体の感覚など感覚器官を通して、絶えず外部からの様々な情報を収集しています。そして、その情報を受け入れる時、自分のこれまでの経験や知識を使って意味を与えています。つまり、受け取った情報を加工しながら自分の中に取り入れているのです。情報を加工することで意味づけ、価値付けをして自分の生活で役つかどうかを判断してます。

例えばスーパーマーケットで「りんご」を見つけたとしましょう。
その時、丸さ、大きさ、赤さといった情報を目を通して収集しますが、この情報にこれまでの知識や経験を使って、「このリンゴは食べごろで甘いに違いない、大きさからしてお買い得だ」といった判断をしているのです。

対象が人間の場合も同じです。情報に自分なりの意味づけ、価値づけをする情報処理を絶えずおこなっています。

ただし、モノが対象の場合と違うのは、その人(他者、自分)を判断したり、理解する時、その人の言動や態度の理由について考えるということです。感覚器官から入った情報(言動・態度など)だけでなく、その理由について考えます。過去の経験と照らし合わせ、知識を動員してその理由を推測することで、その人を理解しようとするのです。

推測の精度

ここで問題になるのがその推測の精度です。

人はそれぞれ異なる環境で生まれ育って、全く異なる経験をしています。ですから、同じ言動・態度を見ても受け取り方が異なりるため、他者の言動・態度の原因を予測しても「正解」である確率は非常に低いのです。長い間一緒に過ごして理由(思考、癖など)などについて熟知していてもかなりの割合で「不正解」になってしまいますし、ましてやよく知らない間柄や初対面の場合はなおさらです。そして「不正解」である理由に基づいて思考、言動、態度を決めることが問題を引き起こしてしまうことが良くあります。

例えば、Aさんとラグビーの話していて会話が弾まない時、Bさんは「Aさんってラグビー好きじゃないんだ」と予測したとします。しかし、実際Aさんは「朝パソコンがクラッシュして必要なデータが取り出せなくなったことで気分が落ち込んでいた」のです。本当はラグビーが好きなのですが今はその話に乗るだけの気力がなく、なんとなく話を合わせていたのです。

同じ状況で「私のこと嫌いなのかしら」「私なんかしたっけ」・・ひとそれぞれその理由を推測しますが本当のところはかなりの割合で外れています。そして間違った推測を元に心の状態や態度が決まってしまうことで人間関係がギクシャクしてしまうことも珍しくありません。

過去の経験と照らし合わせ、知識を動員して推測した理由が、自分にとって望ましくないものだった時、その理由を決めつけてしまうのはやめましょう。「不正解」である確率が高いからです。

気づき・ひらめき

そんな時は・・・
  • 今度またラグビーの話してみて盛り上がらなかったら、好きなスポーツについて聞いてみる
  • 「元気がないみたいだけど何かあった?」と聞いてみる
  • 「何か気になることでもあるの?」と聞いてみる
  • 話題を変えてみて様子が変わらないか試してみる

など、望ましくない理由が本当なのかを確かめてみましょう。ほとんどの場合その理由は外れているはずです。

そうした言動を繰り返すうちに、相手の考え方の癖がわかって来るので、次第に理由の正解率も向上してきます。

「理由なんて怖くて聞けない」という人は、かなりの割合で「不正解」であることを思い出してください。その後「自分が気分良くいられる理由」を探してみてください。

理由を確認できないのですから、「自分が気分良くいられる理由」を見つけ、そう考える方が自然に振る舞うことができるようになって、相手との関係がギクシャクするのを防ぐ方がずっと精神衛生上望ましいはずです。