自分の考えに論理的なエラーがないかを考えてみる
ネガティブな感情を呼び起こす思考には、論理的なエラーが存在する場合が多いものです。出来事の事実とは論理に関係がなく過去の経験から自分を守るために作り出したネガティブな自己ルールやそれに基づいた論理から導きだされるのです。
- たった1つの実例に基づいて普遍的な結論を導き出す・・>結論の飛躍
- たった1つの行動に基づいてその人の人間性を決め付ける・・>決めつけ
- 可能性があるに過ぎないだけのことを、必ずおきることとして考えてしまう。
あるいは、起きる確率が高いものだときめつける・・>生起率の無視 - 全ての出来事が互いに関連しあっていると信じてしまう。
(良いことがあれば必ず悪い事が起きるなど)・・>決めつけ など
練習方法
- 「自分の考えに論理的なエラーがないかを考えてみる」を利用して、自分の出した予測や結論至るまでの論理的エラーを見つましょう
- エラーが存在するのであれば、そのエラー共通性について考えてみましょう
以下について検討してみましょう
- 内面的な矛盾を検討してみましょう
矛盾する2つの考えがありませんか?
例えば、「できるだけ多くの人と知り合いたい」という考えと、「誰からも嫌われたくない」という考えは論理的に矛盾していませんか? - 背理法
自分の考えの背景にある論理を検討してみましょう。
その論理は不合理なものではありませんか?
例えば「私は親から愛されなかった。だから私は愛される資格のない人間だ」という考えについてどう思いますか?
もし、それが論理的に正しいのであれば、「あの子は親いない子だ」・・>「だから親に愛されたことがない」・・>「だから愛される資格がない』ということになりますが、それについてどう思いますか? - 自己批判による悪循環に気づく
「自分は自己批判しすぎる」といって、さらに自分を自己批判するという悪循環にはまっていませんか?
「自分はネガティブでダメな人間だと思ってしまう。自分をダメな人間だと思うから、私はさらにネガティブになり落ち込んでしまう」といった悪循環です。
以下の質問に答えてみましょう
- その考えが事実なら、どんな結論が導き出せますか?
そして、その他にどんな結論が考えられますか? - 他の結論があるかもしれないといと言われたらどう感じますか?
- 自分が出した予測や結論とは違う見方をする人もいるのではありませんか?
- 可能性があるという事を、絶対におきる必然的なこととして考えていませんか?
あるいは起きる可能性を高く見積もりすぎていませんか? - 自分の予測とは違ったことが起きたり、起きないと思っていたことが、起きてしまった事はありませんか?
- ある出来事Aが起きたら、Bという出来事が起きると予測するなら、出来事Aと出来事Bの因果関係はどういったものなのでしょうか?
物理的な因果関係がありますか?
特別な関連性がありますか? - その結論は、他の全ての人や状況にもあてはまりますか?
人は結論導きだす時、その理由に論理的エラーが存在する場合が少なくありません。ネガティブな感情に圧倒されてしまうことが多いなら結論に至るまでの論理的エラーを検討してみましょう。
共通する論理的エラーがあるのではありませんか?自分の論理が正確で検討の余地はないと考える人もいるでしょう。そんな人は、なぜ自分以外の結論や予測を出す人がいるのかを検討してみましょう。
その人たちがどのような論理に基づいて、その予測や結論を導きだしたかを検討することで、新しい視点が見つかるかもしれません。
また、自分の論理について、根拠や反証を考えたり、背景にある自己ルールを検討してみるのも良いでしょう。