ルールと基準
人は生まれてから色々なルールや基準を学んで身につけ、それらに基づいて生きています。 そして、そのルールや基準に基づいて様々な判断を下しています。 ですが人は成長し、環境も変化し続けています。
色々なルールや基準がありますが幼くて何もできなかったときに親に強要されたルールや基準が、大人になって色々なことができるようになって必要なくなったり、その時代背景では常識と考えられていたルールや基準が今の時代では必要なくなっていたりするものです。 そして「必要なくなる」ばかりか、そのルールや基準を守ろうとするために、現在を生きにくくしたり未来に希望が持てなくなってしまうことも珍しくなありません。
人は一度自分の中に取り入れたルールや基準を無意識に守ろうとし、それがうまくいかないと深く傷つき、悲しみを感じてしまうものです。 しかし、良く検討してみると、例えば「どんなことも完璧しなくてはいけない」というルールを守ろうとしても、完璧に物事が進み、結末まで何の問題も起きないという確率はとても低く、ほとんど毎回、完璧な状態を作り出すことができず、「私は役立たずだ」と考えるようになってしまっているなど、そのルールが自分にとって不利益をもたらしていることも少なくないものです。 自己批判、罪悪感、羞恥心といった感覚は、これらのルールや基準(べき思)にを守ろうとすることで生じる副産物である場合が多いのです。
ルールを点検してみましょう!!
- ルールや基準の理論的根拠は何ですか?
- 何がこのルールのもとにあるのでしょう?
- このルールは全ての人にあてはめられるものですか?
- このルールは、主義というより、あなたの好みではないですか?
- 『~べきだ』ということの根拠や反証には、どのようなものがありますか?
- 誰が、あるいはどんな権威が、『~べきだ』と定めたのですか?
- 誰もが『~べき』なのでしょうか?もし、そうでないのなら、なぜ人とは違う基準を自分にあてはめるのですか?
これまで守ってきたルールや基準を見直すことを悪い事をしているように感じたり、そのことで不道徳なことや悪いことをするようになってしまうのではないかと心配な場合は、「利益をもたらすべき思考」と「不利益をもたらすべき思考」を区別してみましょう。 「利益をもたらすべき」とは「誰かを強姦するべきではない」といった、全ての人に対して適用できるルールや基準です。 合理的な道徳上のルールを構成しているものは何かということについて考えてみましょう。 合理的な道徳上のルールとは、誰に対しても適用できるものであり、人間の尊厳を高めるものをいいます。