強すぎる決め付けを調整しよう
決め付け
自分自身や他人、出来事などをありのままに説明したり、受け入れたり、理解するのではなく、「白か黒か」、「善か悪か」、「優れているか劣っているか」といった視点から決め付けてしまうこと
「決めつけ」もある程度は必要な思考の癖です。「決めつけ」ることで判断が早くなり、決断に迷うことも少なくなります。未経験からくるネガティブな体験も減少します。しかし、この傾向が強すぎると「新しい体験の対して消極的になる」「未経験の体験を受け入れられない」「他者を理解することが難しくなり、良好な人間関係を築けなくなる」など様々な問題が生じてしまいます。
この傾向が強すぎる人は、以下の方法を試してちょうど良い強さに調整してみましょう。
調整方法
- 自分の考えが間違いないということについての確信度を数値化してみましょう。
0~100% - その考えに影響された場面に伴う感情とその強度を数値化してみましょう。
0~100% - 信念を具体的に書き出してみましょう
物事を判断する時の思考を具体的に書き出してみましょう。 - 損益を分析してみましょう
自分の要求を他者に突きつける事で、自分や他の人のモチベーションは上がるのでしょうか?
「道徳的」であったり「正しく」ありたいのですか?
今のようなルールや要求基準を、いつどこで身につけたのでしょうか? - 判断を支持する根拠と支持しない根拠の検討、及び根拠の妥当性に関する検討をしてみましょう。
他の人たちも、自分と同じような要求基準やルールで物事を判断しているのでしょうか? - 認知の癖の分類をしてみましょう。
- 自分(他の人)が自分のルールや要求基準を守れなかったら時、極端なレッテルを貼り付けていませんか?(できる人→ダメな奴)
極端なレッテルを貼り付けた経験を思い出してください。結果はどうなりましたか?
- 二重の基準法を使ってみましょう。
全ての人がその人に対して、自分と同じようなネガティブなレッテルを貼り付けるでしょうか?
貼り付けないとしたら、それはどうしてでしょうか?
愛する人や心から大事に思っている人に対しても、同じように厳しく判断しますか?
そうしないしないとしたら、それはどうしてでしょうか?
同じルールを人によって適用したり、しなかったりするのはなぜでしょうか? - 世の中の人すべてが、自分と同じようなルールや要求基準を持ったとしたら、どうなるでしょうか?
- 道徳は人間の尊厳を高めるためのものです。
自分の判断は、自分や他者の尊厳高めることに繋がっていますか?
人を責めたり、批判する事が目的になっていませんか? - 今の要求基準やルールを、より現実的な別の言葉に変えてみましょう。
極端な思考になっていませんか?
もう少し段階的な表現に直してみたらどうでしょうか?
「完璧であるべきだ」→「うまくやれたら良いな」など
「~べきだ」「~しなければならない」という表現を段階的な表現に変えてみましょう。
置き換えた表現を見て、どう感じますか? - 判断するのをやめてみましょう。
意識を向けるのをやめる必要はありません。ただ判断するのをやめてみましょう。
判断するような言葉使うのをやめてみましょう。
出来事を描写するだけにしてみましょう。
「いつも」、「決して」「絶対」と言った言葉を使うのをやめてみましょう。
目に見える行動、自分の感覚だけに意識を向けて描写してみましょう。 - 過去や未来のことを考えず、今、この瞬間に意識を向けてみましょう。どんな感じがしますか?
1時間後、1日後、1週間後どんな事が起きているか?
その時の今を感じてみましょう。 - バルコニーからその出来事を眺めています。
その状況を他者に説明するとして、どう説明したら状況を正確に伝えれられるでしょうか?